「やればできるんよ」

平成のスクールウォーズ
荒れ果てていた高校を再生させた熱血女性教諭の汗と涙の記録。

1章 荒れた学校
2章 凄惨なリンチ事件
3章 学校改革
4章 トイレ掃除に学ぶ
5章 私の半生
6章 二年目の挑戦
7章 校長に就任
8章 改革の成果
9章 生徒たちの証言
信念と至誠のたまもの―解説に代えて

喫煙、いじめ、暴力。休学・退学者は一学年の半数にも及ぶ…。
荒れ果てていた高校を再生させた、熱血女性教諭の汗と涙の記録。
広島の荒れて授業ができなかった高校に4年前に教頭として赴任
今は正常な高校にした現・校長の山広康子さんのお話..。
トイレ掃除実践から子どもたちの心を癒していった話

広島県立安西高等学校校長 山廣 康子

1949(昭和24)年2月18日、山口県宇部市で生まれる。
1973(昭和48)年に広島大学教育学部卒業後、広島県立高陽高校、国泰寺高校などで国語の教鞭をとる。
2001(平成13)年4月に安西高校に教頭として赴任。
2003(平成15)年同高校校長に就任 山廣 康子


今の学校は、草むしりは、PTAに、トイレ掃除は、業者に委託(>_<)。
汚い事や、一寸危険な事を、先生や、生徒が一緒になってキレイにする事が無くなった事が無くなった事が、イジメや無気力に向かっていったように思う。
学校、教育委員会文部科学省、政府の考え方の変革を・・・
総理大臣、閣僚自らトイレ掃除をっ、という気持ちで教育方針を立ててm(_ _)m



夜回り先生 水谷修先生
夜回り先生 水谷 修
水谷修の春不遠
水谷修先生の夜回り日記
ふらっとnow
ふらっと、子ども、水谷修

夜の繁華街を徘徊する子どもたちに声をかけて歩く、“夜回り”。
水谷先生が、夜回りを始めて12年。
「高校生?」「早く帰れよ」とやさしく声をかけ、「何かあれば、連絡して」と名刺を渡す。
かかわった子どもを救うためには、危険も冒す。
ドラッグの売人に脇腹を刺されたこともある。
暴力団事務所に1人で乗り込み、右手の親指をつぶされた。
普段は、高校で社会科を教えるひとりの教員。そこまでするのは、なぜ!? 

水谷 修  Osamu Mizutani
1956年横浜生まれ。上智大学文学部哲学科卒業。
横浜市立横浜総合高校教諭)
教師生活のほとんどを少年の非行・薬物問題に捧げ、
「夜回り」と呼ばれる深夜パトロールを行いながら、若者の更生に尽力。
また各種メディアの出演や、日本各地での講演を通して、
少年非行の実態を広く社会に訴え続けている。
第17回東京弁護士会人権賞受賞。

主な著書に
夜回り先生』(サンクチュアリ出版)
昨日までのことはみんないいんだよ。
まずは今日から、水谷と一緒に考えよう−。
不登校、ひきこもり、リストカット、薬物乱用…。
12年間夜の街を回り、5000人の生徒と向き合った「夜回り先生」が、激動の半生を振り返る。

『さらば、哀しみの青春』(高文研)
『さよならが、いえなくて』(日本評論社)など。



ヤンキー母校に帰る〜旅立ちの時 不良少年の夢」 
義家弘介HP
ヤンキー先生 義家弘介の教育コラム



今の法律、条例は細かく決めすぎて、その穴をつかれて犯罪にもならないなんて!
基本理念原則を決めて、柔軟に対応する法律でなければ、いつまで経っても無くならない。

学校の教育もしかり(^_^)



「ツッパリ生徒と泣き虫先生」
伏見工ラグビー部・日本一への挑戦〜
プロジェクトXアンコール 第30回 2000年11月21日放送
ツッパリ生徒と泣き虫先生
和尚さんのさわやか説法 常現寺住職 高山元延
和尚さんのさわやか説法TOP

「弱さと真剣に向き合いたい〜前・伏見工業高校ラグビー部監督 山口良治
全国で「校内暴力」の嵐が吹き荒れていた昭和49年春。
京都一「荒れた」高校、伏見工業に一人の新任教師が着任した。
山口良治、31歳。
かつてラクビーの日本代表キッカーとして活躍した山口は、ラグビー部の指導に情熱を燃やしていた。
しかし、伏見工業の荒廃ぶりは想像を超えていた。
校舎の中をバイクが走り回り、授業中はみなトランプや麻雀をしていた。
教師たちも見て見ぬ ふりをしていた。

最初の職員会議で山口はなきながら訴えた。
「それでも、あなた達は教師ですか」
会議の後、校長と二人の若手教師が山口を追ってきて言った。
「山口君。一緒に学校をたて直してくれ」。
こうして熱血教師たちの取り組みが始まった。
子供たちを立ち直させるためには、母校に「誇り」を持たせることが必要だった。
そのためには不良の巣窟、ラグビー部を鍛え直し、全国大会に出ることを目標とする。

初の公式戦は、強豪・花園高校を相手に「112対0」で歴史的大敗。
その屈辱をバネに、プロジェクトの闘いは始まった。
泣きながら、身体ごと不良たちにぶつかっていく山口は「泣き虫先生」と呼ばれるようになっていった。
そして、子供たちも次第に心を開き、全国優勝への夢に向かって突き進んでいく・・・・。
今も教育界に語り継がれる、伝説の物語を描く。



金沢の小学校で30年以上にわたって教壇に立ってきた金森俊朗さん



世界ピンホール写真デー
今年のWPPDは4月24日に行われました。
ギャラリーにご来場下さい。
世界中の参加者の作品がご覧になれます。