なんば歩き2003/09

足を前後に開いて上体は両足の中間に置き、いわゆる前後への中間バランスを保つ。

後ろの足を、泥田の中から引き抜くように、あるいは、床に磁石でぴたっと貼り付いているのを引き剥がすようにして前方へ動かしはじめる。
この時、前脚(支持脚あるいは支え脚)の膝は軽く前に進める。
この時点で腰の移動が始まる。

腰の移動は自然に任せて、後ろ足を前方に踏み出し足の裏全体でぴたっと床に接地する。
後から前へ踏み出した脚と反対側の支え脚は、足首、膝が滑らかに動き腰は前方へと進む。
脚を踏み込み床に接地するまで、体重はこの支え脚が確保している。

この時、支え脚の足の裏は床にぴたっと着いたままで踵は浮かさない。
あくまでもべた脚のままで動作する。
尚、この中間バランスは、見た目の中間ではなく、脚の働き具合からの前後の脚の床への接地状況で判断したほうがいい。
どちらかの足というか、主には後ろ足が死に足にならないように心掛けるのが上達のポイントだ。

このすり足というかべた足で前に脚が進んだときに、同じ側の腕が同時よりも少し早くに前に振られる。
腕が前に振られるのに合わせて足が地面から離れ前方に踏み込まれる。
この繰り返しが「なんば歩き」だ。

西野流呼吸法の「旋遊」は、腕が振られる動作ではなく、腕を前に出す動作を行う。
その前に出す動作は、各々の思いが違うようで、前方を探るように出すこともあれば、武道の突きの気持ちで出す場合もあるが、いずれにしても振られる動作ではなく、前に出すという動作だ。

しかも前に出す間に言葉では言い表せない動作が加わるので、意識がそれに捕われ易く、足の運びがおろそかになる恐れが多分にある。
足の運びにまで意識が下に降りて、なおかつ腕の動きが自在になるのがひとつの目標のようだが容易ではない。

なんば歩きは武道的な動きを感じさせるが、私はこれをダンスの中に取り込んでいる。
これは人間が原始的なパワーを発揮させるのに必要な動作のような気がしている。
いろいろな分野の凄い動作には、このなんば歩きのイメージが見うけられるのだ。
但し、必ずしも足と手が同じに動いてない場合もあるが、身体の内部ではなんば歩きが行われているようだ。

尚、ここで注意すべきポイントがある。
手が振られるときに、肩から振り込む人がいるが、これだとなんば歩きにならない。
ただ半身で切り替えながら進んでいるだけになってしまう。

ダンスの場合は全身だけでなく後退にも強いアクションが必要になるが、勿論、この場合もべた足の動作が行われる。
ただ支え脚の動作が前進のときとは少し違うが、これは別のページで述べるべきであろう。


2003/08/30(土)毎日新聞「余録」になんば歩きについてのコラムがあったので転載します。

明治になるまで日本人はなんば歩きが普通だったといわれる。なんばとは右足と右手、左足と左手を同時に前に出す歩き方だ。昔の絵を見れば、そういう歩き方や走り方をしている人が目立つ。ちょうど佐川急便の飛脚マークのような形である。

歌舞伎の六方や能の所作、相撲のすり足や武術などに残っているなんばだが、もとは農耕の作業から日本人はこの歩きを身につけたとみられる。だが、西欧式軍事訓練が導入された明治には、国家によって軍隊や学校を通して手足を交互に動かす歩き方が教え込まれた。

すっかり体が“西欧化”してしまった今日からすればなんとも歩きにくく感じられるが、実はスポーツ界では最近注目されている。体をひねらない分、力のムダのない動きができるというので、バスケットボールの指導などに古武術のなんば歩きが取り入れられたりもした。

極めつきは、パリの世界陸上男子二百メートルで日本人史上初の決勝進出を果たした末続慎吾選手が、練習でこの「なんば走法」のタイミングをとり入れていたことだ。日本選手権で20秒03の日本記録を出した走りでは、終盤の20メートルでその練習から得た感覚が生きた。

「終盤で疲れてくると手足の動きのタイミングが微妙にずれてきます。それを修正するのが目的」というのが所属のミズノのホームページでのご本人の弁だ。世界最速を競う場で、すっかり忘れ去られていた日本人の伝統的な身体感覚がモノをいったのだとすれば愉快である。

末続選手は自ら「根性の才能はすごくあると思う」と語っている。天性の脚力を最高の舞台へ導いたのは、身体のうちに潜むあらゆる可能性を引き出す努力だろう。
パリからアテネへ、“日本の走り”が世界の注目を集める。



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